ダイアモンド・ロゴス・アカデミー・インターナショナル

Diamond Logos Academy International

Diamond Logos Teachings 創始者

Faisal Muqaddam

 

ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス(DLT)の創始者はFaisal Muqaddamです。1946年にクウェートで生まれました。彼が生まれた当時のクウェートの田舎では電気もなく、薪や家畜の糞などで火を起こしパンを焼いていたそうです。スーフィーの神秘な教えが広まったそのような地で彼は育ちました。Faisal のワークの経歴は1969年から始まり、現在はスピリチュアル心理学者としてパブリックトークやグループリトリートを通して世界に向けて教えを説いています。

 DLTの始まり:学生だったFaisal は学業を積むために同郷の友人A.H.Amaas とともにアメリカに渡りました。クウェートからやってきた彼を待ち受けていた当時のアメリカの情勢やその様は驚きだったそうです。その生活の様々な経験から、現代心理学、宗教学、精神と体のセラピーなどを通じて心理の世界を東洋と西洋が出会う観点からA.H.Almaas と共にダイアモンド・ガイダンスを体系化し発展させていきます。そして、ダイアモンド・アプローチを伝えるスクールを開設するに至ります。その後、Faisal Almaas と袂を分かち、彼自身のワークをダイアモンド・ロゴス・ティーチングスと名づけ、現在なお、教えを広げています。Almaas はさらに体系化を進め、Faisal は詩人のように自由なハートを展開させました。私はFaisal に数回お会いしていますが、実際、彼に会ってみると、とてもチャーミングな人柄で、会うたびに私の中の深遠さに触れ、同時に心が解放される深い癒しの体験をしています。

 Faisal はこの体に宿った魂に全てが包含されていると言います。それは、アブソリュート・ドメイン(絶対性の領域)、エッセンシャル・ドメイン(本質性の領域)、ワールドリィ・ドメイン(この世の領域)が出会う実質的な実体であり、ゆえにセルフはすべての領域を具体化する存在で私たち自身が神性であり、また、本質要素であり自我であり、魂は肉体を持つことでこれらを統合するためにやって来たと彼は言います。到達点に向かう魂の旅ではなく、魂の体験それ自体が旅であって本質とともに在る’ことで旅は成し遂げられます。Faisal は魂をpoint of light と呼び、すべての私たちがこの世に点在する神と位置づけられます。それは個性化された実体であり、無限の空間と時間を旅しながら進化しています。

 ダイアモンド・ロゴスのワークはただ自分を発見する、自分を取り戻すだけのワークではありません。あなた自身のことであり、すべてがあなたの中にあり、すべてのドメイン(領域)を含む全体が輝かしいあなたの王国であることを理解します。そして、ダイアモンド・ロゴスのワークはあなたがその王国の主人であることを知らせます。言い換えると真我への帰還です。Faisalの言葉を使うと真我はbeloved self  です、十分に成熟したbeloved self としてpoint of light のエッセンスのそれぞれの面、喜び、幸福、愛、勇気、力強さ、意志、平穏さ、深遠さなどの本質的属性を統合していくのがワークの目的です。このようなワークゆえに個人の存在に深く達して真理の道が開かれていきます。このワークはその効率性、効能性の高さから世界中の多くのセラピストや瞑想の探求者に支持されています。

http://diamondlogos.com/?page_id=110 のインタビューを訳したものです

Faisalはクェートで生まれました。彼のルーツを探るために彼の幼い頃の生活について質問してみました。

Dakini:あなたの家族について、幼い頃のクェートの体験につい話していただけますか?

Faisal:私の父はビジネスマンで彼には3人の妻がいました。私の母はスピリチュアル・リーダーで司祭者でした。彼女は哀歌で女性に死の旅立ちを祝福します。女性たちは死の悲しみにある10日間私たちの家に留まります。まるで彼女たちの嘆きを解放する10日間のワークショップのようでした。私の母はとても素晴らしいシンガーでした。彼女はいつも歌っていました。彼女は、その当時のクェートで自由のための ”ウーマンズリブ” のロビー活動を始めたとても勇敢な女性の一人でした。男たちは彼女をコントロールしようとしましたが彼女はそれに従いませんでした。彼女はいくつかの伝統を厳密に順守していました、例えば、彼女は死ぬまでベールを纏っていました。彼女はとても情熱的であり、人生を愛していました。

Dakini:あなたにとってのイスラム教とは何ですか。

Faisal:私はモスリムの教宗に生まれましたがそれに抵抗しました。宗教がどのように人々を利用するのかを見てきたからです。それに私は近代的なことに憧れていました。

Dakini:いつアメリカに渡米したのですか?

Faisal:私がバークリー(アメリカ)に到着したのは1964年です。数学を学ぶために来ました。教育を受け学位をとってクェートに戻るつもりでした。クェートでは限界があり十分な教育が受けられないと分かり、そのため、教育体系に革命をもたらしたかったのです。

Dakini:どうしてインナー・ワークに興味を持ち始めたのですか?

Faisal:1969年にインナー・ワークに入っていきました。数学を追求した後、とても科学的で精神に関わる課題に数年関わり、私は行き詰まってしまいました。60年代のバークリーの環境と私自身の体験は私をバイオエナジェティックスBioennergetics(生体エネルギー学)とClaudio Naranjoに向けさせたのです。アメリカに来た当時はスピリチュアル(精神世界)な道に全く興味がなかったのです。私はただ地道に進もうと思っていただけです。クェートではスーフィーは正気ではないとみなされていました。スーフィーに対して否定的だったのです。当時、多分、現在においてもスーフィーに対する迷信があり、とても皮肉っぽい、まるで宇宙規模的なジョークです、そのように、私は Chilean Jew からスーフィズムを学んだのです!

いかにあれ、私は、魂の深い渇きに気づき、自分を解き放ち始めました。生体エネルギー学 Bioenergeticsが私に見解を与えてくれることを期待したのです。しかし、私の意識は進化し始めました。私は自身を開き始めました。クンダリーニの体験がありました。これらの体験から恐怖が起こりました。なので、ほんの小さな疑問を抱えてClaudioのもとに行きました。ほんの小さな回答をもらいに行っただけです。普通でいられるのか? このような体験をどうしたら良いのか? しかし、Claudio はもっと扉を開いたのです。私の魂はほどかれ始めたのです。それは毒々しい私のマインドの周りをガラガラと回っていたのでした。

何年かこのワークを続けました。そして1974年にクェートに戻りました。私の体験をシェアーしたかったのです。最初に話した人々は私の気が狂ったと思ったのです。西洋の地で狂ってしまったと。しかし、多少の効き目はあったようです。男性のためのグループを開きました。グループに参加した男性の連れである女性も興味を持ち始めたので女性のグループも開きました。もちろん、当然である社会構造と社会規範があるため、参加者の生活にこのワークを適応することは簡単ではありませんでした。私は自分のインナー・ワークを引き続き行いました。イギリス、アメリカへ渡ります。イランでスーフィーについて学びました。1976年、Tartan Tulku によって私のワークは突破口を見出しました。私はアブソリュートAbsolute(絶対不変の原理・性質)を理解したのです。

Dakini:アブソリュート(絶対不変の原理・性質)の体験について話していただけますか?

Faisal:私のアブソリュートの体験は、シンプルな言葉にすると、光明を得た質enlightened nature、ブッダ性Buddha nature、全ての現実の基盤、それ自体の純真さ、の体験でした。

Dakini:大変、簡素な説明ですね。それからどうなったのですか?

Faisal:1979年、クェートを去ることにしました。ひとりではこの国に革命を起こせないのです。アメリカに戻り、Dr.Phillip の Reichian Therapyを学び、Wihelm Reich のオステオパスの生徒でもありました。

Dakini:Hameed (A.H.Almaas) との関係性について話してもらえますか?

Faisal:Hameedと私は一緒に育った仲です。長く友情が続き、一緒に探究してきました。スピリチュアルなもの以外は幻想であると言う判断に従わず、私たちは全ての体験がリアルであると見始めたのです。これがダイアモンド・アプローチDiamond Approachのワークの始まりです。私たちはほぼ7年間一緒にワークを推し進めてきました。洞察や体験を共有し、概念的枠組みとワークの方向性を発展させていきました。

Dakini:あなたのアプローチとHameedのRidhwan スクール (Diamond Heart)の違いを教えていただけますか?

Faisal:違いは何を重視しているかです。私たちは同じメソッドを使って異なる強調点を指しています。私はハートを強調しています。また、ダイアモンド・アプローチにエニアグラムも組み入れています。

Dakini:20世紀の西洋人のスピリチュアルの旅にどんな課題がありますか?

Faisal:ノー・セルフ No Self への重要視が私たちを貶める最も大きな落とし穴のひとつです。もともと持っていないものをどうやって手放すことができますか? 私たちは体験もしたことのないSelf から解放されたいと試みます。それは無理なのです。

大勢の精神修業者は “エンライトメントの先入観” と私が呼んでいるものに捕らわれています。修行者はアブソリュート(絶対性)に結びつけ、他の全ては現象だと言う二元性に転落しています、関連して、アブソリュートはリアルで現象は幻想とみなします。西洋の多くの精神修業者はこの偏見に落ち、それゆえ、私たちは精神性spiritual stateに留まっていられないのです。

Dakini:あなたの、3つのセルフの理論Three Selves theoryについて話してください。

Faisal:最初はワールドリィ・セルフWorldly self。自我(エゴ)、人格です。健康的にも不健康的にもなれます。2つ目は ヘブンリィ・セルフHeavenly self。ソウル(魂)とも呼ばれ、個性化されたセルフIndivisuated self、または、ハイヤー・セルフHigher selfです。私はこれをインナースター、ポイントオブライトpoint of lightが内にある – と呼びます。ひとりひとりのユニーク性です。私たちの真の正体true identityです。それ抜きで旅は不完全です。すべての人間がこれを望んでいます。私たちはいつもセルフSelfを探し求めてきました。3つ目のセルフはコズミック・セルフCosmic selfです。それは私たちのブッダ性Buddha natureです。神は完全なる存在であり、海であり、ポイントオブライトは海の中の魚です。

Dakini:ポイントオブライトpoint of light についてもう少し話していただけますか?

Faisal:私の理解では、point of light は神が私たちに与えてくれたギフトです。私たちみんなの中に点在する神なのです。音節(一言)の種です。魂であり、Nafsであり、ハイヤー・セルフとも呼ばれます。私たちの中の個性化された実体entityであり、無限の空間と永遠の時間を旅し、高みへ、高みへと終わることなく進化しリインカネーション(生まれ変わる)します。私たちのある部分は決して死ぬことがなく、個人レベルのセルフフッド(個性・自我・中心)の感覚を充実させています。詩的に表現するとベツレヘムの星です(the star of Bethlehem)。ベツレヘムはアラビア語で肉(実質)という意味です。個性化されたロゴス(神の言)が肉(実質)の家に落ち着いたことを指しています。キリスト教ではジーザスが個性化を象徴しています。3人の博士がベツレヘムの空に偉大な星を見たと言う話(星に導かれキリストの降誕を祝うためにベツレヘムにやって来た三人の博士)は肉(実質)の家、実際には肉体のこと、にpoint of light が降りてきたことを象徴しています。それぞれの預言者が私たち存在の特定の状態へ導く原理(本質)を説いています。

Dakini:このセオリー(学説、理論)を役立たせるためにどのように働きかけることができますか?

Faisal:人格や自己陶酔的(自我同一化と真実の自分との混乱)問題に深くメスをいれる覚悟による非同一化の継続的プロセスに関わって自分らしさを解放しpoint of lightを達成します。そして、個人が、愛者Beloved selfとひとつになるように十分に熟すまで幸福・愛・喜び・意思などのpoint of light の異なる属性と徐々に一体化していきます。Point of light と一体化するには先に属性と一体化しなくてはなりません、何故ならpoint of light と一体化するにはマインド、ボディ、日常活動に大きな変容が必要だからです。Point of lightになるのは簡単なことではありません、それは高位の存在だからです。それゆえ、先にその属性を少しずつ、少しずつ私たちと一体化させていきます。でなければ、そのプロセスは人格や精神構造を解体するだけで終わってしまいます。プロセスは段階的な属性との一体化と自己同一化の解消です。

Dakini:西洋人の、スピリチュアルの旅を続けるための挑戦、特に東洋の教えに従うことについてどんな課題がありますか?

Faisal:東洋の宗教の修行者は西洋人が持つ極端な疎外感を経験していません。東洋の教師のほとんどは西洋人がどんな問題を抱えているのか知りません。知らないのですから理解できないのです、彼らは精神性の進化spiritual evolutionに立ちはだかる “私たちの構造” を元に戻す鍵を持っていません。

東洋人は西洋人ほどpoint of light から遠ざかっていません。西洋人はpoint of lightからとても遠ざかっていて、自我(エゴ)からコズミック・セルフcosmic selfへはとても大きなジャンプです。古典的なの東洋の流儀はそれを知らないのです。それゆえ、ほとんどの教師が「自我を手放し、そしてアブソリュート(絶対性)に溶け込むのだ」と言います。しかし、魂は個性化しています。それ自体が本質であり、本質的意思であり目的なのです。それゆえ、この部分を見渡さなければならないのです。自我は墜落した天使です。私たちは自我を虐殺するのではなく、その言葉に耳を傾けなければなりません。耳を傾ければ、自我は私たちをpoint of lightに導くでしょう。自我はまるでサタン(魔王)のようです、もっとも献身的な存在です。その欲望はセルフSelfに導く標識となります。自我がセルフSelfで出くわすとすんなりと進んで(喜んで)明け渡しが起こるでしょう。

Dakini:スピリチュアル・ワークのゴールをどう説明しますか?

Faisal:ゲームの名前は進化です。エンライトメント(光明)の体験はユニバース(天地万物-この世に存在するすべてのものや現象)がどうであるか認識する助けになり、その共同創造者となることができます。

エンライトメントは個性化の潜在的可能性であり、ユニバース(天地万物)は高い、高い収容能力に向かいます。人類は完全に帰還することができます。エンライトメントはあなたが神であると言う知識であり、全世界がそうなのです。エンライトメントが私たちの個性化をもたらすのです。

Dakini:心理学と精神性の関係について話していただけますか?

Faisal:それらは切り離すことはできません。インナー・ワークに向かうとどうしても私たちの心理的な傷や問題に出くわすでしょう。Point of lightである私たち自身を体験するプロセスの中で最も深い自己陶酔的な問題が浮かび上がってきます。

自我(エゴ)は欠陥(精神・肉体の)からやってきます、それは子宮から始まるでしょう。キリスト教では私たちは罪から生まれてきたと言います。この罪を私たちは Hole ホール(穴)と呼んでいます。個人が、自我の欠陥の体験(精神・肉体の)に向かうのは最も恐れていることのひとつであり、何故かと言うと、自我がある前の体験だからです。自我はそれ自身のホール(穴)に恐怖を抱いています。ですが、常に欠陥部分の周りにいるのです。私たちは自分が何を理想化しているか、から欠陥を知ることができます。自我は何が欠けているかを見つけ出すまで家に帰る価値がないと感じています。それぞれの自我は使命を持ち、それは魂の探求の一部なのです。

多くの私たちが自我(エゴ)を切断しようと試みます、私たちは自我を非スピリチュアルとみなしているからです。それはうまくいきません。私たちは自身の自我に心を開かなければなりません。自我は私たちのインナー・チャイルド(内なる子供性)です。探求し、私たちの真相を解明するには自我を理解する必要があります。自我は、個性化されたセルフIndividuated selfから切り離されたゆえに生じます。もし、自我と戦えば、手強い相手となるでしょう。東洋の宗教は個性化に何らかの問題があると言います。

西洋人の落とし穴のひとつは非人格化(個性喪失)を理想化しているところです。周りを見てみると、

”崇高” な存在(例えば、ダライ・ラマ)はたいへん温かみがあり、まさに人間味があります。重要なのは、浴槽から赤ん坊を投げ捨てる必要がないことを覚えておくことです。東洋と西洋の両方の理解を持ってその両方を使うべきです。私たちはこの2つを編み込んでいる先駆者です。

Dakini:私たちの多くは精神性が成長した人は不(愉)快、否定的な考え、また感情的にならず、継続的に祝福の状態にあると考えます。もし、否定的な考えや感情的であれば、あまりスピリチュアル(精神性が高い)でなく、自身の未解決であるすべての問題を解消していないのが明らかです。それは事実だと思いますか?

Faisal:いいえ、私はそうは思いません。私が理解するエンライトメント(光明)はゆるやかな段階の連続ものです。エンライトメント幼稚園、エンライトメント101、そしてエンライトメント高等学問と続きます。私たちのワークは完全なる本質性を認識することから始めます。そこから、新しい人生、覚醒した新しい人生が始まり、さらに覚醒し、さらに円熟し、そのプロセスの中で洗練されていきます。それぞれのステージにおいて私たちが持つ最も深い問題の解消が起こります。もし、覚醒しなければ決して知ることのできない問題などです。エンライトメントを認識する一方で、問題のかたまりを掘り、深まり、他の層の問題が浮かび上がってきます。エンライトメント(光明を得た)した人々は彼らの問題に働きかけています。エンライトメントが問題を消し去ると言う考えは落とし穴のひとつであり、西洋に傾いてしまい、非現実的な崇高(尊さ)を私たちに要求します。

Dakini:スーフィーの慣習にNafsが出てきます。Nafsとは何か、それにどうワークするか説明していただけますか?

Faisal:Nafs はアラビア語でセルフself(そのもの) と言う意味です。エゴ・セルフego self、ヘブンリィー・セルフheavenly self、コズミック・セルフcosmic selfについて前に話しました。Nafs は エゴ・レベル、ヘブンリィー・レベル、また、コズミック・レベルにもあります。それぞれのレベルにおいて、問題のかたまり全体が浮かび上がります。この3つのステージを認識することでそれらを曖昧にしている問題に働きかけていることになります。

Dakini:神の質Divine Qualitiesにどう働きかけるのでしょうか?

Faisal:それぞれの状態にはその周りに特定の問題のかたまりがあり、故に、それぞれの質はその周りに特定の問題のかたまりがあるのです。慈悲Compassionは通常、心の傷によって遮断されています。意思Willはサポートの欠如によって遮断されています。平穏・安心Peaceと明晰さClarityは憎しみ・嫌悪によって遮断されています。などなどです。これらの問題にワークしてその出元を理解し、それがどのように起こったか、子供の頃に、私たちは本質性Essential stateを表現する内なる部屋 -宿泊施設- を作り出します。私たちはこれらの質の影の部分にワークしなければなりません。神性のそれぞれの面にたいへん特殊な問題があります。ダイアモンド・アプローチの専門分野です。ビーイングBeingのパラス(宮殿)の部屋には詩人のような感性で差し込む – たいへん特殊な鍵があります。ダイアモンド・ガイダンスは存在することstates of beingと問題の間に精確な洞察をもたらします。

Dakini:ビーイングBeingと本質Essenceについて話していただけますか?

Faisal:一般的には、ビーイングBeingは無限の状態を指しています。本質EssenceはBeingの形化された面です。

Dakini:体についてと、このアプローチにおけるボディワークについて話していただけますか?

Faisal:新しい知識は西洋で発達してきました、Bioenergetics や Reichianなどで、直接的に心理的な解明と本質性essential statesを持ってたいへん的確で効果的に体に働きかけることができるようになりました。体に、そして、それを通してワークすることで問題に近づきやすく、ゆえに、本質性に近づきやすいのです。体は私たちの無意識と私たちの本質our beingを貯えている倉庫のようなものです。ダイアモンド・ガイダンスは体の異なる場所に異なる本質性と異なる問題のかたまりがどのように点在しているか明確に示します。体に着装している鎧・防護服をゆるめることで心理的、また、とらわれの身となっていた精神性の中身が自由になります。人の体はもっとも奇跡的な媒介物であり、私たちはそれを知らないのです。それは偉大な乗り物・媒体であり、体の中に異なる層の意識を含んでいます。体には存在existenceの全ての層につながるたくさんのスピリチュアル・センターがあります。多くの人は精神性に向かうため体から離脱しなければいけないと考えているようですが、私は、体を通して “無限” に溶け込むことができると信じています。私たちの体はユニバース(天地万有)を知覚する能力のすべての可能性をフル装備しています。

Reichian breath ワーク、in-depth マッサージ、クラニオセイクラル・ワーク、その他のテクニックなどの異なるモダン・アプローチは、ただ解析的にワークするよりもっと素早く精神性を満たす助けになります。

Dakini:スピリチュアル・ガイドのルールについて話していただけますか?

Faisal:スピリチュアル・ガイドは、知識、ガイダンス、在り方state of beingを授ける促進剤(事態を引き起こすもの)です。それでも、ワークは生徒の手にあります。教師の未解決な自己陶酔的要求に支払われるべく、生徒の目的を満たすための供給者に陥る教師もいることでしょう。生徒が魂の開拓者ではなく、ただの “フォロワーズ 従者“とする結果です。ですから、ガイダンスに制限が起こります。とは言え、ビーイングBeingを統合する者にガイドが必要です。人がエッセンス(生来の資質・能力)を統合した時、他の者はそれを受け取りやすくなります。磁石のような働きです。側にいる人のエッセンス(生来の資質・能力)が引き出され、外に出てくるのです。いかにあれ、最終的には、生徒の個人ワークの質が変わります。生徒が、彼・彼女自身にもっとワークすれば、ユニバースは鏡のようにもっとそれに答えます。根源・出所sourceになるためガイド(指導・助言・指導者)に依存することはできません。

Dakini:私たちの時代は生徒がガイド(指導・助言・指導者)に依存し過ぎていました。彼らは不適切に自身の知識を手放し、そして指導者は彼・彼女自身の自己陶酔的要求に支払われるべくして逆転移に落ちました。とても難しくもあり混乱します。古い慣習では、生徒はなんであれ教師が言うことに従うと教えられました。ですので、生徒がガイド(指導・助言・指導者)を選ぶと言うことがとても重要ですね。これに関してどう思われますか?

Faisal:生徒がどのようにガイド(指導・助言・指導者)を選ぶのかとても重要です。それと同時に、生徒がその教えと教師の指示に従うことも本当に必要です、が、盲目的にではありません。盲目的な信用、ほとんどの生徒がこの問題に落ちる場所です。教師も同じ問題に落ちる場所です。

Dakini:探求者にとって傷を負っている場所ですね。信頼が重要になってきます、しかし、識別力・眼識も重要ですね。このワークで深まるにはどんな心構えが探求者の助けになりますか? 

Faisal:スーフィーはこう言います、アラーに祈りなさい、でも、ラクダの綱は強く縛っておきなさい。ダイアモンド・ワークを注意深く見ていて、それに対する私の心構えは、Hameed (A.H.Almaas)とは異なりますが、教えのシステムを適応させる、ユニバース(天地万有)を眺めるのではなく、個人が彼ら自身の魂の目的を見つけ出すことを可能にする特殊なガイダンスだと言うことです。それぞれの魂に目的があり、ワークは、生徒が彼・彼女の個性化された魂を見つけ出し、そのエンライトメントの天体・領域・社交範囲のなかでその目的を展開させることです。違いは、ダイアモンド・アプローチ(A.H.Almaasの)は強調点・重要視がたくさんあり過ぎて、また、システム化してしまったことです。私にとっての “システム” はホール(穴)だらけです。もし、システムへの愛着を手放すことができたら、ダイアモンド・ガイダンスはたくさんのエンライトメントした(光明を得た)人々を通してもっともっと知識を得ることができるでしょう。

Dakini:このアプローチで言うホール(穴)についてもう少し話していただけますか?

Faisal:はい。例えば、ガイダンスは音楽を通してやって来ます。ダイアモンド・ハート・スクールDiamond Heart Schoolはこの知識を持っていません。音楽を奏でる者がやってきて異なる精神性essential statesを表現し、音楽を通してそれらに達する異なる階調をあらわします。別の者がやって来てそれをアート(芸術)、モーブメンツ(運動)、ダイエット(特別食)、メディカル・リサーチ(医療調査)、エコロジー(生態学)で表現するかもしれません。私はキャラバン(集団)がやって来てそれが繰り広げられるのを見ています。もし、私が生徒のためのダイアモンド・アプローチの経典に制限を設けたら、彼らの魂がガイダンスに付け足すワークに限界を与えることになります。

Dakini:あなたはそれぞれの個人に権限が与えられていると話しているのですね?

Faisal:そして、ダイアモンド・アプローチがすでに持っているもの以外のたくさんと相和することに開いています。

Dakini:私たちがこれまでに発見した体の知識を持って展開させてきたものはまるで中継的な進行のようですね。

Faisal:はい、私にとってはどのようにダイアモンド・ガイダンスを理解できたか、が祝福なのです。それは、そのようにして私とHameedにやってきました。しかし、スクールは組織化され制限が生まれました。

Dakini:それで一定の構成ができそれが厳正化してしまえば、役に立たないということですね。

Faisal:そうです、私はもっとゆったりとしていたいです。私は、人が私に従うよりも魂が持っている炎を燃え立たすことを望んでいます。他のスクールに関しても同じことが言えます。そうすれば、生徒が前進することができるのです。ワークの中に魂の道ができ、歩いていくことができます。ガイダンスはユニークな方法で多くの人々を通して継続されるのです。

私は先駆者です、後援者であり(私は幾つかの精神性essential statesを送信することができます)、そして3つ目に教師でもあります。私は生徒を訓練します、しかし、それは二次的なことです。一次的には、私は、本当にビーイングbeingに恋をしているのです。そして全宇宙が私の家であり、常にこの壮大な家をさらに、さらに、さらに、発見し続けているのです。

Dakini:客観関係のセオリー Object Relation’s Theoryはダイアモンド・アプローチの大きな特徴ですがそれについての説明と、どのように使うのか話していただけますか?

Faisal:客観関係のセオリーは、日常生活に起こった両親との過去の関係性がどのように記憶に留められているかを語っています。私たちが “今ここ” に居ることは滅多にありません。私たちはほとんど、そして常に、過去に縛られています。それゆえ、人々が今関わっている客体・対象物とその関係性は過去に起こったことの再上演・繰り返しなのです。それを見ていることで、これらの客観関係のなかで何を探し出そうとしているのか知ることができます。

Dakini:あなたはエニアグラムをワークの中に組み込んでいると言いました、エニアグラムについて話していただけますか?

Faisal:エニアグラムは私たちに当てはめる事ができる9つの異なる人格の様相についてです。それぞれのタイプは私たちから切り離されたエッセンシャル・ドメイン(本質の領域)の描写であり、常に探し求めますがどのように手に入れたら良いのか分からないのです。

Dakini:個人的探求、 “メソッド(方法)” 、自己実現Self-actualizationの適応や方法にどんなアプローチを提案しますか?

Faisal:神を探求する方法をシンプルに述べると、礼儀正しさ・寛大さ・柔軟性graceとハードワークの両方が要求されるでしょう。私たちは自身の問題に本当に向き合わなければなりません、好奇心を持ってインクワイリー(尋ねる、調査)することです。崇高さを求めるのではなく、理解に至ることが必要です。私たちは満足感よりも真実に向かいたいのです、瞬間ごとにこの体にいることで “今ここ” を練習します。私たちはまた祝福を与えたいと思います、何であれワークによって生じたものはすべて健全さです。

Dakini:あなたが真実に向かうと言うとき、その瞬間のどんな体験も、という意味ですか?

Faisal:私が言っているのはその瞬間に関連する絶対的真実absolute truthです。すべての状況において現れるどんな真実も私たちは知りたいのです。私が理解するダイアモンド・アプローチは客観性を強調し、私たちの心理学的構造を理解します、なぜなら、それら(心理学的構造)は私たちを支配し抑制するからです。合理化または神秘主義的にしなくても、どんな道であろうとこれらの複雑性に敬意を払えばプロセスは単純化されます。とても地に着いたプロセス、個人的なプロセスです。

Dakini:スーフィーの慣習や他のスクールで2つの異なる姿勢をよく見かけます。ひとつは私たちの永遠なる本質eternal natureと同一化し、否定的な感情に巻き込まれないようにと言います。他方は、なんであれ私たちの体験に入っていくことが瞬間に在ることであり、人生の流れの中で起こる個人的また対人関係の不快感やジレンマ(板挟み)を調査することを提案しています。この2つのアプローチに対するコメントをいただけますか?

Faisal:バランスが重要です。もし、否定的な感情が現れたらそれを許します。許しますが、それにミルクを与えません。問題に囚われてしまい、終わることのない問題という落とし穴にハマってしまう人もいます。自らの実在の体験を否定し、関わらないこと(乖離)にハマる人もいます。乖離はエンライトメントではありません。

Dakini:まだここで話されていないことで何か読者の助けになることはありますか?

Faisal:ダイアモンド・ガイダンスはそれぞれの個人の生来の質についてです:特定の誰か、またはスクールやシステムに属しているのではありません。ですから、あなた自身の中で探求するのです。教師、また友達の助けになるのであれば使用できるすべての資源を役立てもらっても良いのです。いかにあれ、覚えておくことは、あなたが探し求めているものはあなたの中にあるということです。あなたは開くことのできるあなた自身のユニーク性を持っています、それがチャレンジであり、旅の喜びなのです。このような機会を与えてくれありがとうございます、私がここでシェアーしたことがあなたのワークを豊かにし、助けになることを願っています。祝福の全てここに捧げます。

『Heart & Wings』から

—– http://diamondlogos.com/?page_id=102 を訳しました。以下 ——-

Introduction to the Diamond Logos™ Teachings

ダイアモンドロゴス・ティーチングの紹介

— Diamond ダイアモンドには精密さ、正確さの素質(持ち合わせた性質)があります。

— Logos ロゴスは言(または神)、原初の言(または神)であり、要素からなる表現(expression)や音調(articulation)を持ちます。

— Teaching 私たちの能力が再びエッセンス(本質)とつながることを妨げる心理パターンを理解します。

ここでの教えはダイアモンドの領域に現れる神の音調(articulation)であり、授業は伝えやすい世俗的な五感を使います。これまでにスピリチュアルな旅についてあまり語られたことはありませんでした。ダイアモンドロゴスはそのガイダンス(手引き)や神秘な体験の恩寵(恵み)・・・知る/見る/感じる、を明らかにします。

ダイアモンドロゴスは個人の ‘true self(本当の自分)’ または ‘Being(存在)’ を取り戻す特殊なプロセスです。この教えを通して偽りのパーソナリティ、エゴーアイデンティティ、そして、本質的気質 true self(本当の自分)を識別する能力を意識的に育てるにつれて、私たち自身の尊い気質(備わった性質)やそのたくさんの現れを認識してひとつに統合することを学びます。

私たちはたいへん貴重で恵まれた現実のなかで生き、そして、私たちは美しく神秘に満ちた存在です。しかし、自分が誰であるのか、また、私たちが存在している王国のことすら知りません。私たちは概念や信念体系 believe system の中で眠りこけ、この眠りが、私たちが誰であるか、生の現実性(ものの本質)を理解することを許しません。

このワークでは、優しくこれらのベールや障害を剥がしていき、私たちが何であるか、また、私たちが存在する王国とつながることの豊かさを体験します。それらを発見するごとに、そのなかでぶつかりあうよりむしろ、もっと現実性(ものの本質)とともに人生を生きることができます。

これこそが人類のための救済の中心で、苦しみから解放されるというものです。私たちの苦しみは、私たちが誰であるか、そして、この現実性(ものの本質)を見失ったからです。ワークは、私たちが持っている病を治癒することにあります。存在下で、私たちの本質的気質 (essential nature) のさまざまな様子と実質である – エッセンス – が、私たちを完全性から切り離している(私たちの)無意識パターンや限界的な信念体系を見抜き解明する扉をもたらします。

偏見なしに真実を受け入れることで私たちは ‘完全性 whole’ に整列し、故に、ユニバース(uni-verse / the logos)が富んだ美しさと豊かさを提供せずにはいられない ”後援者” になります。このワークは、客観性(誰もが認めるそのものの性質)に対する私たちすべての人の能力を喚起させ、真実の探求や理解、その中に秘められた魂のガイダンス(手引き)を開示します。

私たちの客観的意識 objective consciousness を見直すことで、理解、明瞭さ、ガイダンス(手引き)や統合する能力、自分と他者に対する慈悲心(思いやり)が可能になります。それは客観的意識の土台となり、と言うのも、それらに深く巻き込まれず、また同一化されず、起こることすべてに明け渡すことが出来るでしょう。

最初は、生徒はそれが困難に思え、そこにあるすべてに同一化します。始めは、自分である感覚や活性された感覚を感じ確認するのはいいでしょう、しかし、何であろうとそこにある心境との同一化の罠にはまってしまいます。生徒がダイアモンドロゴス・ティーチングに参加し始めると、感情がもっとも重要な事柄でなければならないという思いを持たずに、それを(感情を)許可するたくましさとおおらかさを十分に持つ上層意識 a higher consciousness が成長し始めます。

肉体的な感覚があるかもしれません、その精密さ、正確さ、集成的意識の中でたくさんのエレメンツ(要素)が開かれます。時には表現されることも必要です、また、時にはそれは開かれることを許す程度です、何であれそこにあることに立ち合いますが干渉せずにいます(思い通りにしようとしないこと)。

問題に取り組んでいる時にたびたび起こるのは、そのまったくの体験の中で本質的要素の状態でいっぱいになったときに、空虚感や ‘ホール(穴)’ に出くわすでしょう、 — それによって理解への明確な図案によって解決がもたらされます。

方法論的には、私たちはさまざまなテクニックをもちいます。私たちが使うのは、古代 & 現代的なテクニックであり、瞑想、ヨガ、チャンティング(唱える)、ズィクル(アッラーへの賛美)、スーフィー(イスラム教の神秘主義)、仏教、そして幾つかの異なるボディワークなどです。

方法論はその教師によって異なります。ある教師はボディワークの技能を持ち、他の教師は心理学ワークであったり、その技能はそれぞれ個々の才能にあります。ある種の人は体に働きかけることが出来、奇跡的にエッセンス(本質的素質)を解放します。

他の人々は話すと何かが起こります。多くのスクールがあり、そのすべてが効果的ですが、その多くが本質的領域へ入っていくことをやめてしまうので、彼らは本質を解読(読み解く)することができません。

このワークは本質を読み解き、魂のトポグラフィー(形や質の詳細)やエッセンス(本質的素質)を示し、そして、それは理解し体験することができるのです。ワークは体験的な理解についてです。テクニックは無限大です。私たちはワークをプライベートな設定、グループセッティングの中で、安全な環境の中で行うので、安心して、彼ら(参加者)の本質的素質 essence の体験ができると感じられます。そして、その体験を徐々に世界に持ち帰ることが出来ます。

世界に対する私たちの貢献は意識をもたらし、現在 起こっている世界の混乱を意識的な人々が変容させる手助けをすることです。他のスピリチュアルワークと同じで世界にエンライトメント(光明)をもたらし、そのように生きることです。この道はエンライトメントについてですが、エンライトメントを理解するだけでなく、それを実現させるのです。それは簡単なことではありません。エンライトメントを理解することは実現より簡単なことです。

私の理解では、そこに3つの領域があります。もっとも言及されているひとつは、世俗的領域(人格とエゴの存在)、そして光明を得た領域(絶対的存在として参照されるもの)です。この2つの間にはたくさんの迂回路や不正(不法侵入)があります。

ゆえにほとんどが、世俗領域から離脱して絶対的存在へ行き、それから、絶対的存在から世俗へと戻ってきます。戻ってくる最中にあなたはたくさんの本質的な相 essential states を育て始めます。私たちのワークでは、実は世俗から絶対的存在へジャンプする必要がないということを発見しました。本質的領域、2の間の中間的段階が開いて接近可能となり、そして、そこにある主要なランドマーク(際立ったもの)がさらに近づきやすくなります。

それだけではありません、私たちはその中間に本質的な自己 an essential self があることに気がつき、個性化された魂は、世俗にも、エッセンスにも、絶対的存在にも居ることができるのです。どの領域の中にも自由に存在することが出来ます。このことが、私にとって、この道の頂点と思えます。

ダライ・ラマはエンライトメントがとても個人的なプロセスだと言います。カルマパ(チベット仏教の第3位の高位といわれる活仏)が光明を得た時、彼は絶対的存在になっただけではなく、もっとカルマパになったのです。これは、一滴の水が大海に溶けて消え去ると言う考えと同じではありません。境界は消え去り、私たちは、私たちが “純粋な気づき” であると知ります、しかし、私たちは引き続きユニークな実体として存在し、ユニークな魂を展開し、さらにさらに光明を得ることが出来、さらにさらに熟練的に全体像と接することができるのです。

私たちは、私たちの隠されていない部分は隠された部分に接していると気づきました。それらは相互に結びついているのです。隠されていない部分が錯覚で、隠された部分が本物なのではなく、そのすべてが真実であり、ひとつの実在、ひとつの総合的な美しい実在、すべてが相互関係にあります。それを一片のかけらにすると、苦悩が生まれます。隠されていない部分にしがみつき、隠された部分に目を向けずにいると苦悩が生まれます。神秘や精神世界に走り、人生から逃げるのであれば苦悩が生まれます。

私にとって、それは人間としての名誉です。私たちは、この全体性に連結しているのです。私が教えたい事、勇気づけたい事はこのことです。ただこの旅、概要的マップについて教えたいのではなく、存在の中で、すべての魂がそれ自身のユニークネスを見つける手助けをしたいのです。それ自身の幸福、それ自身の至福、分かち合うことのできるそれ自身の能力です。

Excerpts taken from an interview with Faisal in Germany, July 2000.

2000年7月にドイツで行なわれた Faisal のインタビューからの引用

Introduction to the Diamond Logos™ Teachings

Introduction to the Diamond Logos™ Teachings Diamond has the capacity of precision and accuracyLogos is the word, the original word, which brings expression and articulationTeachings refers to the understanding of…

DIAMONDLOGOS.COM

Essential Nature & Ego

Bo Heimann が Faisal Muqaddam にインタビュー

http://diamondlogos.com/?page_id=107

Bo: あなたは教えの中で、偽りの人格(またはエゴ・アイデンティティ)とあなたが本質的資質と呼ぶものを区別する必要があると話しています。その本質的資質について話してもらえますか?

Faisal: 本質的資質が 真の人格です。それはたくさんの素晴らしい質によってつくられています。例えば、愛Love、喜びJoy、明晰さClarity、強さStrength、温情(思いやり)Warmth、興奮Excitement、 自由Freedom などであり、存在そのものです。

そして、この存在にはもっとも貴重な要素があり、私たちはそれをエッセンスと呼んでいます。これらの質には質感(特性)があり、色があり、そして、それらはエネルギ−ではありませんがエネルギ−の源です。それらはあなたが感じることのできる実質的なものであり、いろんな特性、いろんな実質があります。

Bo: そのエッセンスは私たちが生まれながらにして持ち合わせているのですか?

Faisal: そうです;エッセンスが私たちの真我 True Natuure です。人が真我について話す時、そのほとんどがまったくシンプルな基本的本質そのものであり、それ自身の質素について話しています。シンプルであるが故にまるで悟りを得た存在のようです。

本質的存在には潜在力があり、それは本当に沢山の質に分かれていると私は考えます。精神世界に関わる人々がよく仏陀の本質、真我について語りますが、しかし、そのものの違いについてほんの少ししか話されていません。

基本的本質はまるで魚のいる、珊瑚のある、海のようです。この基本的本質それ自体の違いははたくさんの質の中で見ることができ、これらの質は、私たちが言うところの、たくさんのサブスタンス実質です。

その中の幾つかはとても繊細で優美、幾つかはたいへん高密度で深く、幾つかはたいへん強力で硬く、まるで岩のようです。予言者にはそれらの色さえも見ることが出来ます。あなたは、それらの色の違いを知ることが出来ます。幾つかはシルバー色のように光り、幾つかは白金色のようであり、幾つかは金色のようであり、幾つかは琥珀色のようであり、幾つかは水色のようであり、幾つかはダイアモンド色のようであり、幾つかは真珠色のようです。これらは混じりっけない特質で 100%完全な事象(絶対的なもの)ではありませんが、絶対的本質と見分けることができます

そのひとつひとつが私たちに何かを供給しています、それがとても重要なのです。ひとつの質が地に足が着いている感覚、信頼する、自信を持つ能力を与え、他の質は活力のエネルギ−、強さ、遊び心(楽しさ)を与え、その他の質は優しさを与えます、このようなたくさんの質がそこにあります。

Bo: 私たちひとりひとりに同じ質があるのですか?

Faisal: 潜在的にその全てを私たちは持っています。

Bo: 差異(違い)を決めるのは何ですか?

Faisal: 私は、私たちが大海から切り離され、大海に戻り、大海に溶ける一滴の水だとは思えません。以前はそのように考えていました。私たちの一部が大海に溶け込むのだろうと信じていたのです – しかし、その他の一部は永遠にそのまま残るのです。

私たちはこの一部を失うことはありません。その一部はあなたの比類ない魂 unique soul であり、ユニークな独自性 unique identity であり、唯一のセルフ(自己) unique self なのです。この唯一の存在 unique being があなたであり、私と同じではないのです。

ひとりひとりが他にない優れた存在なのです。すべての私たちが海から生まれたにもかかわらず、依然として独自 unique なのです。違った色の魚が海にいるようにです。そして、ほとんどの精神世界での道で彼らは海に帰ろうとしますが、魚を見落としています。

Bo: 世間 world から絶対性 absolute(絶対普遍の性質、神)へ?

Faisal: 世間から絶対性へ、そうです。そして、彼らは本質的領域と本質的自己を見捨てています。これらのすべての質が存在するエッセンスの部屋、そこにはセルフ(自己)とアイデンティティ(独自性)も存在します。人はそれをソウルと呼ぶかもしれません、ハイヤーセルフと呼ぶかもしれません、スピリッツと呼ぶかもしれません、たくさんの呼び名があります。

そこに存在、個性的な存在があり、それが他と比べることのできない唯一のあなたなのです。それは繰り返されず、また破壊されることもありません。あなたが光明を得る時、この存在が消失することはありません。

何が消え去るかと言うと、あなたのマインド(思考や感情)による制限、偽りの人格 false personality による制限です。しかし、本質的な人格が残り、そして輝き、さらにさらに光明を得、さらにさらに成熟し、あなたは真の成人 human adults となるのです。それは永遠にその後もずっとあり続けます。私たちは死なず、ローブ(衣)を取り替えるだけです。

ほとんどの精神世界はエゴについて懐疑的であり、そして、人々は彼らが特定するどのような形であれ、デビルかエンジェルか、あれかこれか、本物か偽物か、エゴとは何かについてたくさんの定義づけを行なってきました。精神世界では、それは追い払らわなければならいない何か、悪いものと見なされていました。誰も「エゴはどこからやってくるのか? 何故、エゴがあるのか? それはいったい何ですか?」とは言いません。

Bo: それについて説明していただけますか?

Faisal: はい、私に言わせれば、エゴの中に本質的自己 が含まれています。みんなが、彼らが話す時、彼らは私たちがエゴと呼んでいるところから話します。そして、このエゴの中にアイデンティティ(その人が誰で、そのものが何であるかということを表す性質や条件)の感覚があります。あなたは「私が言う、私が見る、私が欲しい、私、私、私・・・」と人々が言うのをいつも耳にしているでしょう。この “私” と言う感覚はどこからやってくるのっでしょう? 

もし、私たちが大海なら、大海に識別はありません。海は海です。絶対性 absolute(永遠普遍の性質)は絶対性です。絶対性は決して “私” とは言いません。絶対性の中に “I-ness 私性” はないのです。あるのは個々の存在であり、アイデンティティではないのです。アイデンティティの感覚がやってくるのは、私たちが唯一のセルフ(自己) 、比類ない魂だからからです。

子供は、生まれた時はこの個性的な魂でした。それはエゴではありません。最初の日は、存在だったのです。子供を見ていると、この子供は、あの子供と少し違っているぞ、と分かります。にもかかわらず、彼ら全員が混じりっけない本質のように見えます。

そこに溢れんばかりの資力が感じられますが、しかし、この子は違ったバイブレーションを持ち、この子は違った存在感をもっています。何故なら、この子達の内側に、時間と空間、再び肉体化 する、永遠に旅をし続ける – 唯一の存在、個性的な存在、個性的な魂にあるからです。この唯一の存在こそが、助言を求め、つながろうとし、成長するのです。

しかし、私たちが無知が故に、少しずつ、少しずつ、子供をこの存在から、光の次元にいるハイヤーセルフから、絶対的存在から切り離そうとします。歳を追うごとにひとつの質、また次の質と、彼らがそれを維持するのに奮闘しなければならないほど、私たちは必死に隠そうとします。

私たちは、彼らの愛を奪い、明晰さを奪い、喜びを奪い、子供達にどれだけたくさんのことが起こって知っているでしょう、どれだけたくさんのことが・・・みんなが子供をコントロールしようとします、みんなが生き生きとした彼らの潜在力を封鎖しよとします。この奮闘の中で子供はひとつの質、そして次に他の本質と、失っていきます。同時に、魂そのものから分離し、彼らのアイデンティティから切り離されます。

切り離された時、彼らの意識はセルフ、そしてアイデンティティの感覚を思い出そうと試みます。もし、あなたが真のアイデンティティを持つことが出来なければ、そのアイデンティティがどんなものか、そのアイデンティティのイメージはどんなものかという感覚を持続させようと試みます。従って、エゴは、エッセンスを描写するリマインダー(思い出させる人)となります。

故に、エゴはハイヤーセルフのイメージとハイヤーセルフの感覚を持ち続けようとする精神の、魂のたいへん精密な部分であり、ハイヤーセルフへ戻る方法を探そうと試みます。エゴはこのハイヤーセルフにひどく関わり合います。それは絶対性への関わりではありません。絶対性はその探求に答えません、何故ならエゴは絶対性に関心がないからです。

あなたは絶対性を神と考え、みんなが神にたどり着きたいのです。でも、何故でしょう? 何故なら、神があなたを再び良い気分にさせてくれるのを望むからです。「おお、私の息子よ、私の娘よ、あなたは再び輝く星となることが出来るだろう」と言わせたいのです。誰も神の怒りを受けたくないのです。もし、神がセルフを与えなければ、彼らはデビル(悪魔)を見つけ出します。みんなが必死でセルフを求めているのです。ジョークですが、=何人かがヒマヤラでそれを見いだそうとし、そして、見つけることができなければ、ならば、彼らはラスベガスにいく!= 

彼らは何を探し求めているのでしょう? 彼らは、再び彼ら自身を取り戻すことを切望しているのです。絶対性は私たちの実体であり、我が家です。しかし、それは私たちの 唯一のセルフ(自己) ではありません。そしてエゴはこの唯一のセルフにたどり着こうとします。それに関する記憶があるのです。何か唯一な感覚を覚えています。私たち全員が自己陶酔的で、そうでない人はこの星にいませんが、隠されているか出ているかの違いで、エゴの中にあるセルフへ張り合いは、多くの伝統的な精神世界で理解されず、光明に至るにはエゴを殺すことが求められてきました。

Bo Heinmann による Faisal にインタビューが掲載された本「エゴとは何か?」は2013年に出版されました。それは他のゲストティーチャー、Richard Moss, Ekchart Tolle, Shakti Gawain, Chris Griscom そして Dan Millmanがエゴについて理解を話した短編です。www.boheimann.com

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